今日は仕事がお休みだったので、急遽、映画『SANDLAND』を見てきました✨
今日足を運んだT・ジョイは、横浜駅直結の新しめな映画館!館内はとってもキレイ✨
平日なので人も少なく、ゆったり鑑賞できました。
↓シアターのデジタルサイネージを記念撮影💕
帰りがけにちゃっかり、コミックス買ったり・・・(*’ω’*)
とても有意義な一日でした💕💕
以下、映画の感想を列挙します。ネタバレを含みます。
本作は2000年の作品のようで、なぜ今更映画化??需要あるの?って思ってた😓
ネットを見ていると興行成績はあまり芳しくないようですが💦
いざ鑑賞してみると、子どもも大人もワクワク楽しめる素晴らしい良作だと感じました!!
特に大人は、暇つぶしのエンターテイメントとしてだけではなく、所々胸が苦しくなる場面に出会うのではないでしょうか。
では、具体的な感想に入ります。
まず、悪魔のベルゼブブ。オレはワルだ!!と何度も力説しているが、性根がいい子、というか全然ワルじゃない😂
水の運搬車を襲う、盗みを犯すのは確かに悪いことですが、生きるために必要な物資を最低限いただくのみで、必要以上の悪は働かない。第一、「人間を殺しはしない」て言ってる時点で、極悪人ベジータが大好きなDB界隈では全くワルの部類に入らないでしょう。
彼が歯を磨かなくたって周りは困らないし、そもそも「歯を磨かない=よくない」と理解している時点で、ちゃんと躾けられてるよね。
じゃあ、大してワルじゃない主人公を、鳥山先生はどうして悪魔の設定にしたんだろうって考えました。
超人的なパワーを発揮させたいだけなら、無印時代の孫悟空やロボットのアラレちゃん、ジャコのような宇宙人でも話は進むはず。
そこに敢えての悪魔・・・
もしかしたら、
「悪魔より人間の方がずっとえげつない、人間は恐ろしい生き物だ」
という皮肉を込めて、主人公を悪魔にしたのかもしれません。
次に、ストーリーの根幹である、水源占拠による独裁政権について。
本作は、王様が川の水をせき止めてまで、砂漠の奥にこっそりダムを造っていることが、物語の中盤で分かってきます。
国が、生死に関わるライフラインを独占して、高値で水を国民に売りつけてる・・・
この手法、古来からホントえげつないなぁとしみじみ感じます。
例えばONE PIECEでは、国中の医者を国民から取り上げたドラム王国ワポルや、ダンスパウダー(雨雲を意図的に成長させて風上で雨を奪い、風下の町から雨を奪う悪魔の粉)を王が使ったように見せかけて国の暴動を扇動したクロコダイルが登場します。
その極悪非道たるや・・・💦
初めて読んだときはかなり衝撃でした。そんなこと考えつく尾田先生はつくづく天才だと思った。
こういう政治の実例、私は今パッと思い浮かばないけど、過去の歴史をたどれば山ほど存在しそうですね。いや、現代社会にもまだそういう国は残っているかも?
ラオの妻はお色気女優!??え、マジか・・・🤣ちょっと唐突すぎる設定。
「良妻賢母な雰囲気の妻とかわいい赤ちゃんの遺影を飾る」みたいなお涙頂戴な設定は避けたかったのかな?鳥山先生はそういう湿っぽいの嫌いそうなイメージがあります。
ゼウの風貌が、どことなくフリーザと人造人間20号を足して2で割ったように見えたのは私だけでしょうか。顔の皺や、右側頭部から眼球にかけての改造具合が似てる気がします。
ラオが「まだ生きていたのか」と言うくらいですし、風貌からもかなりご高齢なのでしょう。20号のように、永遠の命を望んだのでしょうか。
物語の最後、ゼウはラオに命乞いをし、ラオは葛藤しながらもゼウを打たずに見逃そうとします。そして結局はゼウが裏切るところまで、ナメック星の悟空とフリーザにそっくりでした。
ただ、最後に悟空は苦しみながらもフリーザを始末しますが(実際は始末できてなかったらフリーザが地球に来ちゃったんですが💦)、SANDLANDではベルゼブブがゼウをぶっ飛ばして終わりました。
本当は殺したくなかったけれど殺しざるを得なかった、悟空が感じたやるせなさ・苦しさを、鳥山先生はSANDLANDの世界に持ち込みたくなかったのかなと想像しています。
ちなみに、虫人間に爆弾を仕込むアイディアも、人造人間に通ずるものがありますね。
ベルゼブブは虫人間と闘いながら、「お前、話わかるか」と話しかけた直後に、虫人間はゼウの手によって爆破されました。
虫人間は量産型雑魚キャラ(←失礼)ですが、ベルセブブは1つの個体として、生き物として語りかけようとします。それを無情にも爆破させてしまうゼウの残酷さもまた、他者の尊厳を踏みにじる人間の愚かさを示唆しているように思えてなりませんでした。
誤った情報を与えられて、それを正義と信じてピッチ人を絶滅させてしまったラオ。
映画内でも重いシーンとして描かれていますが、ウクライナ戦争でも似たような構図があるから本当に笑えません。
上記で書かれてるように、戦争の前線に放り込まれたロシア人は、情報源が国営メディアしかないような貧しい地域で、「我々はウクライナを開放しにゆくんだ」と本気で信じてしまっている人たちだったり・・・。
歪んだ情報を与えて、私たちは正しいことをしていると思い込ませて情報弱者を戦地に駆り出す残酷さ。本当に胸が痛みます。
アレ将軍は、SANDLANDを見た人は全員が好きになるような、とてもいいキャラクターでしたね!
彼は視聴者にとって、最も共感しやすい、人間味のある立ち位置のキャラクターだと感じます。
悪魔のシーフが語る真実をすぐに受け入れらず信じられない、ゼウは確かに冷たい人だがそこまでひどい人とは思えず、また、自分を将軍まで導いてくれた恩義を感じている。
しかし迷いながらも、自分の良心に従ってダムの場所を無線でラオに教えたり、最後にはラオを援護してゼウを打ち落とす。
彼はラオのように家族や元の名前を失ったわけでもない、今も社会的に高い地位にいる将軍なのです。そんな彼が組織を裏切ってラオにつく姿は、もしかしたらストーリーを推し進めるラオやベルゼブブより格好よく見えるかもしれません。
最後に。
「偏見は正しい判断を狂わせる」
Twitter(X?)では、SANDLANDを鑑賞した方が時折、このセリフに言及しています。
映画内では、これがアレ将軍の中でリフレインされたのちに、ラオの支援をする流れになっています。ちなみに漫画ではリフレインの描写はありませんでした。
映画製作者が、本作品の肝の1つとしてこの言葉を重宝しているものと感じます。
※作中で、ピッチ人が偏見に晒されている理由は描かれていませんでした。偏見というより内集団バイアス(自分が所属する集団のメンバーに対して肯定的に評価したり好意的な態度を示したりする心理的傾向のこと。内集団バイアスが強く出ると、外集団に対する不当な低評価だけでなく差別的行動が起こることがある)の概念の方が近いかもしれません。
特に現代社会はレイシズムや性的マイノリティなど様々な点からも「ダメ、偏見」という流れが強くなってるし、私も偏見は良くないと思います。
だから、あえて自分に言い聞かせたい。
ダメと知っているだけで偏見取り除けるなら苦労しない、と。
そもそもなぜ偏見は生まれるのでしょうか。
脳科学者・中野信子著『人は、なぜ他人を許さないのか?』によると、
「バイアスは脳の手抜き」と書かれています。
本来、人は1人ずつ違う生き物ですから、国籍や性別などによらず1人1人を丁寧に判断していくべきです。が、迅速な判断が必要な場合はこの方法は非常にコスパが悪い。
あれこれ考えずに、「〇〇に属する人はこう!」と決めてかかった方が脳が楽なんだそうです。
人間は楽したい生き物から、これはとても合理的な判断とも言えるでしょう。
だからこそ、思うのです。
偏見を減らすとは合理性を犠牲にするに等しく、常に「楽したい」という弱さと向き合う必要がある。
偏見も差別も、大抵は悪意のない人がします。
「悪意はないけどコレは良くないこと」と気づくためにできることは、情報の受け取り方を日々磨くこと、そして知る努力を生涯怠らないことだと、私は思います。
以上、あいのすけのSANDLAND鑑賞レビューでした。