注意書き
本ブログは、ベジータの在り方について、かなり偏った個人的見解を述べています。
人によっては不快と感じる解釈が記載されている可能性もあります。
「自分と異なる解釈も、おいしく楽しんで読めるよ!」という心の持ちようの方のみ、お進みください。
はじめに
「あんたも来たら?」から未トラ登場時までの約1年8か月、DB原作ではすがすがしいほどに年月を吹っ飛ばしてストーリーを描いている。さらに未トラ登場以降の約3年間も、さらに情報を吹っ飛ばしまくって、あれよあれよという間にセル編スタート。
ベジータとブルマがくっつくコトまで公開されたのに、まるっと全部すっ飛ばす姿勢は、潔いというか傍若無人というか(笑)。令和の漫画では考えられない雑さかもしれない。
それゆえに二次創作の猛者たちは、その空白期間を妄想で埋めることに喜びを見出してきたわけであるが・・・本テーマも、まじめに妄想しようとすると、馴れ初め妄想並みに骨が折れる工程である。
前置きが長くなったが、タイトルの通り、地球に住み着いてからセル編までのベジータと修行について考察していきたい。
そもそもベジータって、修行とかする人なの?
アニオリのベジブル馴れ初めストーリーも手伝ってか、「ベジータ×重量室×修行」という図式は結構鉄板なシチュエーションに見受けられる。
ブウ戦最初の方にある、ベジータとトランクスの重量室の修行風景も後押ししているだろう。
しかし・・・私は思う。
ベジータは、カリキュラムに従って実直に修行をするという文化に、そもそも慣れ親しんでいないはずなのだ、と。
悟空は初期から武天老師のもとで学び、その後はカリン様、神様、界王様・・と様々な師匠のもと、その時の自分にとってベストな環境で修行を重ねてきた。
一方で、ご存じの通りベジータは5歳で惑星ベジータが消滅してフリーザ軍の配下に。その後は、しがない地上げ屋生活である。
上司としては優秀と言われるフリーザ様だから、人的資源配分にもぬかりないだろう。マネジメント不足でうっかりエース級戦士に仕事を振らず、お暇を与えてしまった・・なんてことがあるはずはない。
よってサイヤ人3人は、手持ちの仕事が終わったら間髪入れずに次の惑星に送り出されて、せっせと働かされるはずである。
毎日同じ時間に起床してがっつりトレーニングなど、夢のまた夢だろう。
強くなりたければ死線で実践あるのみ、そんな人生だったはずだ。
よく二次創作では、ベジータは早寝早起き・規則正しい生活を送る描写をされることがあるが、少なくとも軍時代は昼夜逆転当たり前なブラックシフトを組まされていたと思われる。
そんなベジータも、図らずも地球に住み着くことになり、カプセルコーポレーションという最高の住環境で、24時間好きなように時間を使えるようになった。
今まで自由も少なく、いいように働かされてきた人間が、急に「あんたは今日から好きなことしていいのよ!」と自由になったら・・・
正直、かなり戸惑うんじゃなかろうか。
「自由になったからこれからは心置きなくトレーニングして強さを極められるぜ!」
とは、すぐには切り替わらないと思う。
現に、ベジータが戦闘服や重力室の開発を博士たちに依頼するのは、未トラ登場以降である。
悟空のスーパーサイヤ人姿を目の当たりにし、また同時に、謎の青年もスーパーサイヤ人になっている姿を目撃し、
「やっべぇのんびりしている場合じゃなかった!!」と焦りだしたのだ。
逆に言えば、地球に来てからの約1年7か月は、戦闘服が必要になるほどの激しい修行は行っていなかったのだろう。
フリーザ親子を倒した後、未トラと一緒に悟空到着を待っているときに
「昼間はいないからきっと修行をしているのよ」とブルマがクリリンに耳打ちしているが、
この口ぶりからは、修行をしているのはあくまで「ブルマの予想」であり、確信ではない。
だから、戦闘服の代わりに頑丈なスポーツウエアをあてがってもらうということも特になかったのだろうし、
つまりは普段着で耐えられる程度の、軽い修行だけをしていた、と想像できる。
また、フリーザ親子が地球に来襲したとき、悟飯は戦いに備えてナメック星で調達した戦闘服を着て参戦している。
なのに、ベジータは普段着(?)のBADMANシャツ。あれ、破れた戦闘服と穴の開いたプロテクターは捨てちゃったんだろうか?破れてても、ないよりはマシじゃない?と私は思ってしまう。
もしかしたら、悟飯とベジータの服装の温度差も、ベジータが地球に馴染んでいることを示す一要素なのかもしれない、と感じる。
ベジータがヤムチャやウーロンたちと一緒にバーベキューしているシーンが、時々小ネタであがるわけだが、あれは
「なんだかんだでベジータは、割と地球の生活に馴染んでるんですよ」
という、鳥山先生なりのメッセージだと思っている。
未来トランクス登場以降の変化
と、ここまでは、
「未トラ登場時まではゆるーくしか修行してなかったよね、きっと」
という仮説について話した。
そして未トラ登場以降は、ベジータのストイックな修行生活が始まる。
ただ、これは私の願望要素が強いのだが、彼は不必要に体を痛めつけるような無茶な修行はしていないんじゃないかと思っている。
その理由は2つある。
1つ目は、前述のとおり、戦闘を長くサボっていた自覚が彼にあるなら、数か月やそこら修行してスーパーサイヤ人になれなかったとして、荒れ狂うことはないと思うからだ。
「しばらくサボってたし仕方ない、とにかく肩慣らしして戦闘の勘所を取り戻さねば」と、目の前のやるべきことを冷静に判断すると思う。
頭がいいとは、現状に対する解釈を自己都合で歪めずに、ありのままを受け入れ、最善の一手に取り組む能力だと思うからだ。
ベジータは内面はまだまだガキンチョの時期だが、戦闘に関してはキレ者であってほしいので、こういう解釈をしている。
※補足だが、ブウ戦での魔人ベジータは、家族への想いに対して、「現状に対する解釈を自己都合で歪めている」と感じている。
全部を捨てて、「おかげでいまはいい気分だぜ・・」と苦しそうにつぶやくのは、そうやって認知を歪ませないと耐えられないほどに心が辛いのだと思う。
戦闘面ではキレ者だが、自己との向き合い方については、この時点では幼さが残している。
2つ目は、スーパーサイヤ人になった悟空の言葉として有名な下記のセリフだ。
「穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士」
自分を極限まで追い詰め、命の危険を伴うような修行をする精神性の中に、果たして「穏やかな心」は育まれるのだろうか。
ブルマと付き合って心の穏やかさが加速度的にあがったことは言うまでもないだろうが、
やはり人の内面は短期間で大きく変われるものでもないし、元からそこまで荒れてはいなかったんじゃないか、と思っている。
ちなみに、ベジータがスーパーサイヤ人になれた時期は、ブルマと付き合いだしてから1年前後かな、と想像している。あいのすけ的年表では、未トラ登場時から1年半後くらい。
ご懐妊前にスーパーサイヤ人を達成できていた方が、色々と収まりがいい。
ベジータの気持ちに余裕がある状態での妊娠発覚なら、この時期のベジブルは加速度的にすごくいい流れに乗れる気がするのだ。
・・・・・と色々綴ってきたわけだが、ベジータと修行のかかわり方は、ベジブルの捉え方にも大きく関わってくるファクターだと感じている。
結構マイノリティな解釈な気もするけど、その方が想像のし甲斐があって楽しい次第である。