せっかくブログ持ってるのに、1つ1つの記事を重く書きすぎて、なかなか食指が伸びない・・・
ので、今後はもっと気楽にゆるゆる書くことにします。
それに、自分の二次創作の作品解説とか想いを日記的に残しておきたい。
最近考え事とか新しいネタもゴロゴロ降ってきて、脳のキャパシティーがいっぱいいっぱい。
Let’s あうとぷっとーーーーーーーー!!!!!!
ってことで、今日はこちらの作品について。
この作品で描きたかったのは、ベジータと母親の関係性についてでした。
ベジータの母親については、私の知る限りは公式では一切言及されておらず、情報皆無。
そのため二次創作界隈では、ベジータ王が強い女戦士を孕ませたとか、ベジータを産んですぐ死んだとか色々諸説妄想されているようです。
(あとづけでターブルくんの存在が公式から発表されたので、異母兄弟でない限りは、ベジータを産んだ後もご存命だったはずですけどね)
で、ここからは相変わらず私の自由気ままな妄想ですが、
ベジータ王妃はキチンと母親の役割を担っている人物で、ベジータのこともそれなりにかわいがっていた、
と思っています。
理由その1は、仮にベジータが親からの愛情を何一つ感じられない幼少期を過ごしたら・・・地球に来てどれだけCCファミリーに手厚く優しくされたとしても、父になり家族になることは難しかったのではないか、と思うからです。
人は、もらったものしか返せない。
冷たい言い方ですが、リアル生活においても私はそう感じています。
たくさんもらった人とそうでない人は、(どちらがいい・悪いではなく)、生き方に差が表れると思っています。
理由その2は、ドラゴンボールという作品全体に流れる親子関係によるものです。
親子かめはめ波に感動する理由は?ドラゴンボールの親子の物語を考察
内容が素晴らしすぎて何度もこの考察を紹介している私ですが、下記のまとめの一言は本当に奥深い。
『ドラゴンボール』においては、本当の意味での「正義」は「親から子へと受け継ぐ態度を持っていること」である。
逆に本当の意味での「悪」は、「親から子へと受け継ぐことを否定し、自分一人で完全であろうとすること」である。
https://mangafull.jp/dragonball-oyako-kousatsu
ピッコロと同様に、「もともと敵キャラだった人が後から味方になる」=「本当の意味での「正義」」の側であるベジータが、父母から受け継ぐものがあったとしたら、
父からはサイヤ人としての誇りとプライドを、
母からは家族への愛情を、
それぞれ受け継いでいたんじゃないかな、と、こっそり思っています。
なお余談ですが、私の過去作『Genius or Evil』もこの考察の影響を受けています。
同じくドラゴンボールの世界で正義の側に立つ、かつては悟空とのW主役を果たしたブルマであるからこそ、両親から大切なものを受け継いでいるはず。
私は、それは父からの科学的な才能や知識、そして、何より、
天才ゆえの葛藤や科学者としての倫理観など内面に差し迫る部分であってほしいと思い、当時この作品を描きました。
話がそれました。
また、ベジータが母親の愛情を受けていたと思う理由その3は、これは本当にナントナクで根拠まるで無しですが、
母星を失うという不遇な境遇のベジータに、さらに追い打ちをかけるような悲惨な設定を鳥山先生が考える気がしなくて・・・。
悲惨というか皮肉な設定を背負っているのは、実は悟空の方ですよね。
あっけらかんと太陽のような悟空は、大猿になって無意識とはいえ、育ての親である孫悟飯を踏みつぶして殺すという大罪を背負っています。無意識だから逆に残酷かもしれませんね。
その件はサイヤ人編で悟空が初めて知る事実となりますが、DB連載当初はまさか連載がこんな長期化して悟空がその事実に気づくことになるなんて、先生自身思ってなかったでしょうし・・・
つまりは、ほんのジョークのつもり(?)で、連載初期に主人公に親殺しの罪を与える、そんな設定をサクッと与えるのが、天下の鳥山先生なわけで。
そんな先生だったら、
「逆にベジータ王家の方が、他人には残酷だけど身内は割と大事にするんですよ」
とか言いそう・・・?(でもベジータって実際に身内贔屓だよね。)
そんなこと、言わない?どうだろう。
以上をまとめると、
ベジータは母親にそれなりには愛されていて
本人もなんとなくその記憶があって(でも5歳で母は死んでるだろうから記憶はあいまいで)
息子のトランクスにその幸せを経験してほしと、無自覚に思ってるんじゃないかな、
というお話でした。
おしまい!