ほら、今日もまた、一歩近くに

白い天井に温白色の蛍光灯。
時計は21時を指している。

大きなベッドに横たわって見上げる景色は、見慣れたCCの寝室のものと異なる。

ブルマは足をバタバタさせ、黒のパンプスをポーンと、部屋の壁にぶつけるように脱ぎ捨てた。
母親として息子の前では絶対に見せられない醜態だという自覚はあるが、今は部屋に1人だから許してほしい。

「はぁー・・・もう帰りたい」

乾いたため息と、つい口から溢れる本音。言葉は、部屋の冷たい空気に溶けて、ふっと消えた。

ここは南の都にある、とあるシティホテルの一室だ。南の都はその名の通り、西の都からまっすぐ南方に進んだ先にある都市である。
この方面に出向いたのは、天下一武道会以来だろうか。
10年以上も前に、隣の小さなパパイヤ島のあの武道会場で、孫君とチチさんは結婚したんだっけ。
ああ、懐かしい。私もだいぶ歳をとったなあ・・・。

「ママ、おじいちゃん、お仕事がんばってね!なるべく早く帰ってきてね!」
「パパ、ブルマさん、気をつけて行ってきてくださいね。トランクスちゃんのことは私に任せてね。」
CCの中庭でかわいい愛息子が、祖母と左手を繋ぎ、全力で右手をふっている。
幼稚園に通う年齢になると、こんな殊勝なことも言えるのね、と、親バカかもしれないがつい感動してしまった。

しかし急に長いこと家を空けてしまい、息子には寂しい思いをさせているだろう。仕事とはいえども、申し訳ないことをしてしまっている。

時は、8日前の朝に遡る。
南の都に大工場を構える得意先から、ブリーフ博士にエマージェンシーコールが入った。
前日の嵐による大洪水で近くの川が氾濫、決壊し、工場の一部が水没して機能しなくなったらしい。生産体制を立て直すために、至急新しい機器を手配し、工場を早期復旧できるよう手伝ってほしい、と泣きつかれたのだ。

博士とブルマは大急ぎで支度をした。
必要な機材をありったけホイポイカプセルに詰込み、ジェットエンジンで南の都へ向かった。

数日で戻れるだろうと思い、とにもかくにも急いで目的地に到着したら、工場は想像以上のひどい有様である。
使える機材は川から離れた工場に移し、在庫がある機器を組み立て新たに配備した。
努力の甲斐あって、おおよその暫定処置は施せた。この調子ならあと数日で、仮復旧できるだろう。

しかし・・・一度決壊した川は、堤防を積んでも再度氾濫する危険性を多分にはらんでいる。
工場を再建しようにも、この土地を離れない限りは数年後にまた、同様の災害が起こるだろう。自然が相手では、所詮付け焼き刃の対応しかできないことが腹立たしい。
そこは、科学者の私が心配することではないのだけど。

ベッドに横たわりながら、無意識に左手でシーツを掴む。
手を伸ばせばいつも隣にいてくれる人が、今日もいない。

出発の日の朝、残念ながら愛する夫はすでにトレーニングに出かけていて、行ってきますを言えなかった。
別に数日私がいなくたって、子供じゃないんだから寂しがることもないだろう。精神と時の部屋で修行してるときは、1年間私に会わなくたって平気な男なんだから。

私だって毎日好きな人と一緒にいたいと思うほど、乙女ではない。
けれど・・・毎日顔を合わせ同じベッドで眠っているのに、前触れなく1週間以上も顔を見られなくなるのは、ちょっと寂しい。テレビ電話をすれば顔は見られるけど、でも、そういうことじゃないの。

とにかく、あと数日頑張れば帰れるんだから、今は目の前のことに集中!

そう決意して、ベッドからむくりと起き上がった矢先。

コンコン。

ホテルの窓から、何やら音がした。
しかし窓にはカーテンをかけているため、外は見えない。

え、ここ、25階なんだけど・・・
のぞき?泥棒?じゃないわよね?
鳥がぶつかったの?それとも、気のせい?
恐る恐る窓の方に近づこうか迷うと、再度コンコンと窓を叩く音がした。
気のせい・・じゃない。ええ、いったい何・・!?

1.5秒ほど頭の中をぐるぐる巡らせ、ハッとする。もしかして・・・
わずかな期待と確信が入り混じった感情で、ブルマは勢いよくカーテンを開けた。

視界に飛び込んできたのは、夜空よりも深い漆黒の瞳。
次に、月光が淡く反射する白のプロテクター。

ガラス窓を隔てた向こうには、よく見慣れた愛しい人がいた。
ブルマは反射的に解錠し、窓を勢いよく開けた。
その瞬間、高層階特有の強風が、部屋に勢いよく流れ込む。

「きゃあ!!」

風に煽られ、バランスを崩して転びそうになったと思ったかと思うと。
ブルマは自分が部屋の中で、ベジータに横抱きされていることに気がついた。

「バカめ。高い場所で急に窓を開けたらそうなるだろう。気をつけろ」

相変わらずのぶっきらぼうな口調。でも、私を支える屈強な腕からは、暖かい体温と優しさが伝わってくる。
「え、ちょっ・・・だってアンタが窓叩くから、つい・・」
言いかけた矢先、言葉は口づけによってふさがれる。
寒空の下を飛んできたからだろうか、ベジータの唇は、いつもより少しだけ、冷たくてかさついていた。

突然の求愛行動に、ブルマの鼓動は早鐘のように鳴り響く。
毎日のようにしていたキスだが、不意打ちでされた時の破壊力は半端ではなかった。

「わ、私に会いたくて、思わず飛んできちゃった?」

恐る恐る、上目遣いで確認する。

「勘違いするな。ここの近くでトレーニングをしていただけだ。お前の気を近くに感じたからついでに寄っただけだ。」

ちょっとからかってみたのに、返ってきたのは、いとも冷静な返事。
昔なら、顔真っ赤にしてしどろもどろで全否定してたのにさ。最近はすっかり落ち着いちゃって、つまらないの。

「ついで・・・ね。ふーん」

たしかに、戦闘服はところどころ土埃で汚れているから、トレーニングをしていたのは事実なのだろう。
でも、いつもならトレーニングは夕方に切り上げて、夜ごはんを家族と一緒に食べるために、19時前にはCCに戻るはずなのだ。
つまり、ベジータはトレーニングの後も家には帰らず、私が仕事を終えてホテルに帰ってくるのを見計らって訪れてくれたのではないか・・・?
なんて、都合よく考え過ぎかしら?

いずれにせよ、会いたいと思った瞬間に顔を見せてくれるなんて。このベストタイミングを抑えるなんて、さすが王子様ね。

ふと、ベジータの顎に目をやると、右斜め下に小さな擦り傷を見つけた。
トレーニング中に擦りむいたのだろうか。
些細な悪戯心が、つい働いてしまう。ブルマは横抱きされたまま、ベジータの首筋を両腕に抱えて、下から傷をぺろりとなめ上げた。

「・・・猫かオマエは」
「・・・ごろにゃーん?」

ブルマは右目でウィンクを送る。

「気色悪い。年を考えろ。」
「あ、ヒドイ。僕のカワイイ子猫ちゃん、とか言えないの?」
「・・・・・・・帰る」
ベジータはブルマをベッドに下ろして、くるっと踵を返した。

「あー!あー!あー!!!待ってゴメンゴメン!会いにきてくれたのが嬉しくて、ついからかっちゃったの!!怒らないでよ!」

ブルマは慌てて後ろから、ベジータの背中に抱きついた。

「怒ってなどいない。帰らないとトランクスが心配するだろ。」
「え、もう帰っちゃうの・・?」

だって、せっかく来てくれたのに。

「来たついでにさ・・・色々、していったら?」

コツン、と、額をベジータの後頭部に当ててみる。
ベジータは、無言だ。
でも、目の前にある彼の耳たぶが下から上まで真っ赤に染まっていくのを、ブルマは見逃さなかった。
「トランクスを可愛がってくれるのは嬉しいけど・・・
私のことも、もっと可愛がってよ。」

ベジータはブルマの方を振り返り、両手に肩をかけて口づけをした後、そっとベッドに押し倒した。

額に、目頭に、頬骨に。触れるように優しく、桜の花びらを散らしていくかのように、唇を落としてくれる。
いつからこの人は、こんなに優しいキスができるようになったのかしら・・・

はじめての時も優しかったけど、薄いガラス細工に恐る恐る触るような、遠慮がちなキスだった。
時には飢えた獣が肉を貪るような、激しく獰猛なキスを。
そんなふうに、幾重に、唇を、身体を重ねてゆくたびに、触れた部分が溶けて交わってゆくような錯覚を覚えるようになった。

物思いに耽りながら、先程見つけた、彼の顎の傷にそっと指先を滑らせる。

「これ、今日怪我したの?」
「ああ。荒野で気弾コントロールの訓練をしていたら、ミスしてしまってな。岩山が1つ吹っ飛んだな。」
「・・・この前も山を一つ吹っ飛ばしてたでしょ。無人の山だったから良かったけど、気をつけてよ。」
「テレビで見たが、俺が山を吹っ飛ばしたら温泉が湧き出て人が集まってきてるらしいな。地球人の娯楽が増えてよかったじゃねぇか。」

プッとブルマが吹き出す。

「もーっ!結果オーライみたいなコト言っちゃって!とにかくこれ以上、地球の地形を歪めないで・・・」

ん?
地球の地形・・・
ベジータなら、自由に動かせる・・・?

「あーっ!!!!!」

ブルマの乳房に顔を埋めようとしていたベジータは、その大きな叫び声に思わずビクッと肩を揺らした。

嫌な予感がして妻に目をやると・・・
ものすごく面倒なことを思いついた時に見る、「にんまり」とした表情をしていた。

こういう時の妻の提案は、大概断れない。

「・・・話は、後でちゃんと聞いてやる。ヤルことヤッたらな。」

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「ブリーフ博士、ブルマさん、この度は本当にありがとうございました!社員一同、心よりお礼申し上げます!」

帽子を脱いで深々と頭を下げているのは、工場長だ。

「いえいえ、お役に立てて何よりじゃよ。完全再建には時間がかかると思いますが、できる限り協力していきますので。」

ブリーフ博士が笑顔で応対する。

「しかし、ブルマさんのご主人には本当に驚きました!まさか、川の地形を数時間で整えてしまうとは、まるで魔法使いのようですな。一体どんな発明品をお持ちで・・・?」
 
「ほーほほほ!それは企業秘密なんですのよっ!ね、アナタ?」

ベジータは口をへの字にして、グッと押し黙っている。

そもそも川の氾濫が起きるのは、蛇行の角度が急で、嵐の時の水流に川岸の堤防が耐えられないためだ。
ならば、蛇行の角度を整えてやればよい。

ベジータは、ブルマが計算によって算出した複数のポイントに数発気弾を発し、川の水流と角度を調節した。
結果、今後は半永久的に氾濫が起きない地形へと変貌したのである。

帰路のジェットエンジンで,ベジータはポロリと不満を漏らす。
「俺をタダ働きさせやがって・・・」

「アンタね・・・何年もウチでタダ飯食いしてるんたから、たまに働かせてもバチ当たらないと思うけど。」

ブルマはため息をつきながら、そっと夫の方に目を遣る。

昔のベジータなら、そもそも私の仕事場についでに寄ったりしないし、帰路も1人でさっさと飛んで帰ってしまっていただろう。
何年も一緒に暮らしてきた家族に、ようやく心を許してくれてるのだろうか。
こうやって父と自分と3人で帰るのにも付き合ってくれる。
それが、何より嬉しい。

「ねぇ、ベジータ」

運転をするブリーフ博士の後部座席で、ブルマはそっと夫に耳打ちをする。

「たまにはさ、いつもと違うベッドでするのも、興奮するでしょ?」

ほら、予想通り。
顔を真っ赤にして、俯いて黙りこくってる。
宇宙一極悪人な男だけど、私にとってはかわいくて愛しくてたまらないの。

雲の隙間からうっすらと、西の都が見えてきた。
私たちの帰る家は、もう、すぐそこ。

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