私たちはきっと、見えてるようで見えていない

昨年12月某日、東映アニメーション(以下、東映と表記)が海外で炎上する事件が起きた。
外国人Youtuber TotallyNotMark氏のアニメ・漫画解説動画が、権利者の申し立てによって一日で150本ほどがYoutubeから消されたことが、事の発端だった。

本件について、Twitterの相互さんがアメリカ国民の心情や著作権への意識の違いなど、日本と海外の文化の差に事細かに言及したことをきっかけに、著作権の在り方や、文化の違いによる断絶について、自分なりに考えるようになった。

本件に言及すると私もバッシングを受けそうだけど・・・
所詮は、法律も海外文化も詳しくないただのオタクの戯言なので、気に入らない方は便所の落書き程度の意見と思って、トイレにポイしてほしい。

とりえあず問題になった動画を見てみよう

といっても、問題の渦中の動画は消されてしまったので、それ以外に生き残っている動画で実情を把握することにした。

私はリスニングは苦手なので、Markさんが何しゃべってるかはサッパリ理解できず、だが。
多数の日本人が指摘するように、公式画像の引用割合が多い。
もう少し自分の意見を明示するクリップとか図解を入れてオリジナリティや創造性を出すことはしないのだろうか。

そして、日本の著作権法の感覚だと、日本人の自分から見て十分アウトなのも理解できる。

しかし、この動画により東映の利益が損なわれるかというと・・・
そこに結びつくかは少し疑問が残る。(著作権が大事にされているのは、作家の利益を守る前提だからね)

また、法律や市民感覚が日本とアメリカで異なるのは当然であり、海外でビジネスをしている以上、その国の文化に合わせた対応を取るのは企業の責務だ。
結果として本件が炎上しているということは、東映の行動は欧米の市民感覚にそぐわなかったということだろう。

そんなわけで、
「うーん、どっちの気持ちもわかるし、何が正解かはお互いに模索していくしかないんだよね、きっと」と、
毒にも薬にもならない、浅はかな感想を抱いていた。

東映アニメーションの海外売上高情報

「そもそも東映は日本の会社なのだし、海外の人たちの反応なんて放っておけばいいじゃん」という人も一定数いそうなので、東映の経済状況に触れておく。

数字で見る東映アニメーション

上記サイトによると、
2020年3月期決算では全体売上が約548億、
海外地域別売上高推移のセグメントでは、国内:海外比率はほぼ半々で、
今回炎上したアメリカ圏、つまり北米は91億となっている。


海外地域別売上の数値は前年の数値しか確認できなかったが、2021年3月期決算では、海外売上高比率は58%と報じるニュースを発見した。
つまり、1年前に比べて海外比率が8%も増えていることがわかる。

会社の約6割の売上が海外・・・これには私も、正直びっくりした。
この状況では、「日本の法律を軸にグローバルビジネスを推し進めよう」とはとても言えない。
株式会社は利益を伸ばしていくのが使命なのだから、数字だけの話で言えば、海外に合わせていくのが本筋かもしれない。

経済学部の頭な私は、
「東映も色々思うところはあると思うけど、ビジネスの観点で言えば、アメリカで商売するなら彼らの文化にちゃんと合わせようね。それが嫌なら撤退するのだってアリなんだから」と結論付けた。

そんなことを考えているとふと、そういえば国内でも、著作権を巡る争いが過去にあったことを思い出した。

2017年に全国ニュースになった、音楽教室対JASRAC事件である。

JASRAC事件との比較から見る、著作権に対する市民感覚

2017年2月に、音楽教室から指導時の楽曲演奏の料金を徴収する方針を決めたJASRACに対して、
教室側が同年6月、JASRACに著作権使用料の請求権がないことを確認する訴えを起こした。
JASRACの紹介をすると、ものすごくざっくり言えば、
「作詞家や作曲家から著作権を預って管理し、音楽によって生まれる利益を作者に還元してゆく団体」
である。
つまり、JASRAC=権利者=東映の立場に近く、音楽教室=使用者=Markさんの立ち位置に近い。

当時の世論はインターネットもメディアも、
「音楽教室がかわいそう、JASRACは金をむさぼる利権団体」
の扱いだった。
ネットではJASRACは「カスラック」とか言われて、散々叩かれた。

しかしながら、東映事件に対する国内の反応は、まったく逆であった。
多くの民意は、「東映が正しい、YouTuberがマナー違反」である。
なぜ、似た事件に対してこうも民意が変わるのだろうか。
東映についてSNSでは、
「作者側が「勝手に作品使わないで」って言ってるんだからファンなら従うべき」

という意見も散見されたが、それならJASRACの件も、
「音楽業界が著作権料払えって言ってるんだから、音楽を演奏したいファンなら払いなよ」
という理屈が世の民意であるべきじゃなかろうか。

JASRACに関して言えば、私は当時、完全に音楽教室の肩を持っていた人間だ。
「楽譜に載せる時点で著作料取ってるんだし、演奏権は大目に見てあげなよ、ケチ!」
とか思っていた。
しかし、JASRACと東映、二つの事件を並べたときに、自分の心情のあり方に大きな差があることに気づいた。
前述のとおり、東映の件では
「youtuberの気持ちもわかるが東映の気持ちもわかる」
という心情だったが、JASRAC事件の所感をベースにすれば、100%Youtuberの肩を持つべきではなかろうか。
なぜ、己の心情に差が生まれるのか・・・私は自問自答した。
それにより得られた解は2つあり、いずれも身も蓋もないほど主観的なものだった。

理由その1は、
「音楽教室は大半の生徒が子供であり、先生がピアノを教える姿に、牧歌的なほほえましい印象があるから守ってあげたい」
という気持ちが働いたからだ。
子どもたちが楽しそうにピアノを学ぶ姿を想像したら、なんとなく味方したくなってしまうのが、人間の性ではないだろうか。
一方、東映の件では争う相手は、言葉選ばず乱暴な表現をすると、
「外人のオタクおじさんで、今時の職業Youtuberという、守ってあげたいという心情とはかなり離れたセクターに属する人」だったということだ。

相手の属性や性別、年齢によって判断してはいけないことはわかっている・・が、無意識のうちにセクターによる差別意識が私の心に生まれていることは、残念だが否定できなかった。

理由その2は、
結局どちらの味方をしたほうが自分の利益になるか、という観点だ。
JASRACの件では、私がJASRACの職員または音楽家になる未来はほぼ訪れないが、自分の子供が音楽教室の生徒になる可能性はそれなりに高い。
そういった、心の距離と現実味のようなものを心の奥で嗅ぎ取り、音楽教室の味方をしたくなったのかもしれない。
東映の件では、自分が日本人であるがゆえに、素性がよくわからないアメリカ人よりも、素晴らしいコンテンツを配信してくれる日本企業・東映の方が、心の距離が近いということなのだろう。

しかし当然、個々人が感じる心の距離で相手を断罪することは、身勝手だ。
個々人が、心の距離が近い人の味方をするのは自由だけど、それを世の中の原理であるかのようにふるまうのは、違うと思う。

JASRACと東映、2つの事件を比較して複眼的思考を試み、私は、主観的で非論理的な理由に自分が支配されていることに気づいた。
自分はそこそこ論理的な人間だと自己評価していたので(笑)、結構ショックだった。
感覚で判断するってホント、正しさとか公平から程遠いのだな・・と実感した次第である。トホホ。

この文章はきっと、「JASRACの件では音楽教室の肩を持ち、東映の件では東映の肩を持っている人」からは好まれない。
「あなたのそんな意見はチラシの裏に書いておけばよい。
東映とJASRACで民意が矛盾してるとか、個々人の感想に論理でいちゃもんつけないでほしい」
という人もいるだろう。
そんな意見があっても当然だと思う。

楽しさ・心地よさの観点からは、論理は邪魔でしかないのだ。

ただ、個々人が求める幸せの価値観は異なるし、皆が自分の幸せだけを純粋に求めたら・・・

利害関係が折り合わなかったりぶつかったりで、悲しみや怒りが増幅して、社会が回らなくなってしまう。

正しさとか公平とか、知性や教養は、そういった利害が異なる人々の間に、互いが歩み寄る理由を与えるために存在するのだと思う。

「物事を俯瞰して見てみたら、賛成はできないけど、アナタの言いたい事もわかるっちゃわかる、かもしれないな・・・」
と、感情の角を整えて、己のプライドやメンツを保ちながら、他者に歩み寄るための理由付けしてあげるのだ。

正論は、主役ではなく、割れた主張の間を取り持つ補助役なのだと思う。
私には私の意見が、相手には相手の意見があり、それは互いに不可侵だ。

だけど、何か解決策を導く必要がある場面で、何を妥協するかを決めなくてはいけない時に、正論は参考になるかもしれない。

補足1

「音楽教室のような教育に携わる人からお金を取るなんてひどい!」という意見もあるだろうが、音楽大学や専門学校など、つまり学校法人と言われる非営利団体は、今回の著作権の請求対象になっていない。
音楽教室は、営利目的の事業だから対象になる。
(教育っていうと福祉的なイメージが強いけど、民間企業がやってる限りは営利活動でありビジネスですよ、念のため)
また、本裁判は一部を除き、現状はJASRACの勝訴となっている。

なお、本件のことの経緯は、下記Yahooニュースが詳細にまとめてくれている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20200228-00165095

補足2

「日本の著作権の法律で決まってるんだからYoutuberの対応はNG」と意見もTwitter内で優勢だったが、
法律で決まってる=NGは、ちょっと思考停止気味だと、私は思う。

現行法を絶対正しいとするなら、裁判なんてAIがやればいい。裁判員制度だって必要ない。


JASRACの例で言うと、裁判で負けたとはいえ、音楽教室や、それを擁護したい人の思いは、果たしてお門違いなのだろうか。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2003/04/news047.html
上記の記事でも、中盤にフェアユースの概念に触れている。
日本ではフェアユースの概念は法整備されていないが、その状態は本当に、世の中全体の利益になるのだろうか。
むしろ、こういった争いをきっかけに、時代に合わせて法律のあり方を議論することも大切だと思う。

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