ドラゴンボールの映画が世間で盛り上がっていて、ウキウキるんるんです。7月頭に見に行くのが楽しみ(*ノωノ)
副題のスーパーヒーローってなんやろなーと思いながら、ドラゴンボールという作品のヒーローについて思うことを少し。
※ここで書くドラゴンボールは、鳥山先生時代のもののみを対象としています。
タイトルの通り、ドラゴンボールには3種類のヒーローがいると思っています。
1つめは、武闘のヒーロー。
悟空やベジータ、ピッコロさんなど、純粋に強さを極めていくタイプであり、ドラゴンボールが大人気作品となった本丸のテーマです。
(最も、亀仙流では「武道は勝つためにはげむのではない。己に負けぬため」というありがたい教えがあり、不当な力で罪もない人をおびやかす輩に一発かますことは、あくまでオマケです。)
2つめは、知性のヒーロー。
未来ブルマ、彼女がその象徴です。
武闘のヒーローが敗北の一途をたどる未来編。フリーザ編までは力が強いものが勝利をおさめるドラゴンボールでしたが、セル編以降は毛色が変わってきます。
ドラゴンボール無印時代には悟空とW主人公だったブルマですが、本作が格闘漫画になるにつれ、徐々に表舞台から離れていきました。
しかし、人造人間というサイヤ人の力をもってしても敵わない相手が現れたとき、科学者としての彼女の知性と逆境でもあきらめない強靭な精神力によってタイムマシンを開発し、結果的に現代・未来の両世界を平和に導きました。
ブルマは、ドラゴンボールのヒロインではないのです。彼女もまた、戦うヒーローの位置づけなのだと思います。
3つめは、人心掌握のヒーロー。
ミスターサタンです。
リアタイ世代でドラゴンボールを鑑賞していた時は「チョロチョロじゃまなオッサンだなー」と思っていましたが、大人になってからドラゴンボールを見ると、彼のキャラの良さがよく分かります。
悟空、ベジータ、ブルマは、ある意味、人間離れした超人です。
一方ミスターサタンは、世界チャンピオンと言えども「特別な力を持たない普通の人間」として登場します。
犬やサタンを撃ち殺そうとするような心ない人間たちがいなければ、サタンは1度はブウから地球を救うことに成功しています。
もう人間を殺さない、と言わせているのですから。
また、最後の元気玉のくだりも、サタンがいてこそ成功した攻撃です。
もちろん悟空やベジータがいなければ勝てない戦いですが、サタンがいなかったらやはり勝てない。誰かが欠けていたら無しえない勝利でした。
こう見ると、セル編以降のヒーローは、これまでのドラゴンボールの常識を少しずつ覆しています。
ドラゴンボールはフリーザ編がピーク、という語りは世の中でよく流れますが、そう言われる理由の一つが、
「格闘漫画としてドラゴンボール」、つまり少年漫画としてのドラゴンボールはフリーザ編で終了しているから
ではないかと思います。
セル編のキーパーソンは、タイムマシンを作った未来ブルマ、本当は戦いなんてしたくない悟飯、そしてストーリーのスパイスという意味では、18号を守りたいクリリンがいます。
そしてブウ編は、ミスターサタンと、穏やかな性格になっていくことに葛藤を覚える魔人ベジータが要になっています。
ブウ編ではスーパーサイヤ人3、ゴテンクス、アルティメット悟飯など戦闘力の強いキャラクターが総集結していて一見豪華ですが、ストーリーの本丸にはあまり寄与しません。
つまりドラゴンボールの後半は、ゴリゴリの戦闘民族サイヤ人の格闘漫画から一転、人間臭さを帯びたキャラクターや、設定上普通の人間に近い人々が、キーパーソンとして活躍しているのです。
こういったストーリー変遷を改めて見ると、本当に奥の深い漫画だなって思います。
それぞれが持つ互いの強さを肯定していくストーリー、私は大好きです。